港区はご覧の通り、東側は低地と海、区の南北を分ける形で古川が流れ、北部は麻布台地と呼ばれている台地の終点、南部は高輪台地のはずれと言う海との境になっていて、地形図をご覧になってもお判りの通りに非常に入り組んでいて複雑な形とのなっているのがお判りと思います。、赤坂、麻布、青山、白金、愛宕山と、等高線を見てもその複雑さが読み取れます。「今昔 東京の坂」を見ましても、坂がたくさん存在する区です。しかし、「江戸切絵図集成」を見ますと、赤坂、麻布、青山は多くの大名屋敷のあった地域でもあり、広大な屋敷がいくつも隣りあっていて、道もそんなには多くはなかったようです。また白金地区の大半は、その当時は畑や未開の地が多く、大名屋敷も点在しているのみのようでした。今からは想像もできないほどに開発のなされていない地域でした。
 港区北部
 港区中部
 港区南部
 港区の地形:
 上の3枚は、港区の陰影図です。上の地形図をご覧になってお判りの通り、港区は、麻布台地と高輪台地の2つの台地からなり、非常に複雑に入り組んだ地形から成り立っていて、台地と台地の間には、古川が西から東に流れていて、2つの台地の奥まで入り込んでいます。上の3枚の地形図から読み取れることは、港区の北側は、千代田区との間に低地が入り込んでいて、それが区の境となっていて、中部と併せて麻布台地を形成しています。南部は、古川と目黒川に挟まれた高輪台地が形成されています。こうして港区の地形は大変複雑な地形となっていて、区の境も複雑に入り組んでいます。どうしてこんな複雑な区の境となったのかもおいおい追跡していきたいと思います。地形的には大変面白い地域で、”江戸あるき”にとっては、歩きがいのある地域ですが、現代の状況がどこまで変わってしまっているのかも興味のあるところです。しかしながらなぜ3部に分けて地形を表示したかと言いますと、ひとつには、港区が南北に長いこと、ふたつには、地形図に標高差を表現して見たかったことです。港区は、台地と谷地の多い地形と表現できます。大変入り組んだ地形が複雑な谷地を生んでいます。また、古川の流れる奥深くに切り込まれている谷地もあり、この古川の流れる低地により、港区が2つに分断だれているような地形を形成しています。いまはご覧の通り、所狭しと建物が複雑に建ちならび、歩いていてもよほど注意しなければ、台地や谷地を見逃してしまいそうです。これらもゆっくりと追跡していきたいものです。港区の南部、高輪台地の東のはずれには、ご覧の通り海岸線だったと思われる地形となっていて、そのへりを電車が通っているような形が見て取れます。