上の地形図は、”Google Earth”にて、千代田区全体を陰影図であらわしてみました。この図を何回も見てみますと、千代田区は3方が台地のはずれで東側が低地であることが判ります。官庁街や番町、麹町、等が台地にあり、神田は台地と低地の境になります。また、東京駅は東側の中央区との境目(千代田区側)に位置し区の境目を電車が走っていることも見て取れると思います。下町と山の手と言う言葉も下町すなわち繁華街山の手すなわち住宅地ではなく、下町=低地、山の手=台地上であることがお判りいただけると思います。このように地形図を見ていきますと、いろいろなことが判ってきます。江戸・東京の発展もこの地形とは無関係ではないと思います。現代には当てはまりませんが江戸時代の街並みは、台地には多くの大名屋敷があり、低地は町人の住居がそのころから所せましと造られていたようです。江戸城の前中央区は、町人の町であり、今と同じように所狭しと住居があったようです(江戸東京歴史博物館に行くと、当時の街並みの繁栄ぶりの模型があります。) 
   
   
   
   上の地形図は、いずれも”Google Earth”により、千代田区全体を陰影をかけ等高線を加えて表してみた地形図です。ひとつの地形図に収められるとよかったのですが、等高線をどうしても入れたかったので、この大きさとなりました(ちょっと見にくいかもしれませんが。)。ごらんになってお判りと思いますが、千代田区は武蔵野台地が海に向かって終わるところ(麹町台地と呼ばれています。)と言えます。江戸城が武蔵野台地の先端に築かれたこともはっきりと見てとれると思います。千代田区はまた北東部では陸地が大きくえぐられており、江戸時代前には今日の日比谷公園辺りから本郷台地との間を深く切り込んだ低地となっていて海が奥まで入り込んでいたことがお判りと思います。これを日比谷入り江と呼んでいたそうで、その前には、江戸前島と言われていた大きな洲がありました。今の中央区の銀座通り辺りが洲の一番高いところだったといわれています。銀座に行く度に銀座4丁目の交差点に立つと皇居側へと築地側へほんのわずかな勾配があり不思議に思っていたのですがこの”江戸あるき”を始めて”Google Earth"を知ることによりより一層その傾斜の意味が判るようになりました。読者の皆さまも銀座にお出かけの際は4丁目の交差点に立って腰を少しかがめて皇居側と築地側をご覧になってください。ほんの少しの傾斜があることが見て取れると思います。地形図で見る江戸城の周囲は、東側が低地(海や洲であった。)で、北側には深く入り込んだ入り江と台地の境があり傾斜地が続いています。西側は麹町台地となっていて傾斜が入り込んだ地形となっていて、南側も台地と低地の境となっているます。これが千代田区全体の地形です。入り込んだ地形をロール・オーバーしていただくと、その入り込んだ地形に道がたくさんあり、傾斜すなわち坂がたくさんあることがお判りと思います。では実際に地形と坂道がどのようになっているのかを、本編に戻ってお楽しみください。
   このような表現ができたのも”Google Earth”と言う機能があって初めて可能になることです。この地形図と陰影図をうまく組み合わせて東京都内がどのような地形から成り立っているのか、その上にどのような街並み(ヒルズや渋谷、新宿のビル群、等)が、どのように造られているかを見ていくのも大変面白い利用法だと思います。
  千代田区 皇居と周辺へ
  
  Back